「犬は家族として愛するのに、豚は食べ物として殺すのはなぜだろうか」
幼い頃、そんな疑問を抱いたことはありませんか? 多くの人が成長する過程で「それは仕方のないこと」「そういう仕組みだから」と蓋をしてしまうこの違和感。私はどうしても、その境界線に納得することができませんでした。
生き物を傷つけたくない。苦しんでいたら助けてあげたい。 それは特別な思想ではなく、多くの人が当たり前に持っている「普通の優しさ」だと思います。
けれど、現代の社会で100%完璧なヴィーガンを貫くのには、とても高い壁があるのも事実です。今日は、理想と現実の間で悩み抜いた私がたどり着いた、「ゆるヴィーガン」という生き方についてお話しします。
完璧になれない罪悪感と、十数年の試行錯誤
実は、私のこの取り組みは昨日今日始まったものではありません。
始まりは高校生の頃でした。「完璧なヴィーガン」を目指し、動物性のものを一切排除しようと必死でした。けれど、家族からは「肉も食べなさい」と怒られたり、嫌味を言われて食卓がギスギスすることもしばしば。友人との外食では食べらるものが何もなく、仕方なく肉を食べるも罪悪感に押しつぶされそうになり、友人との食事を楽しむことができませんでした。
何度も諦め、何度も挫折し、それでもやっぱり動物たちのことを思うと離れられない。そんな十数年の葛藤を経て、今の「ゆるヴィーガン」という形にようやく着地しました。
さらに社会人になってからは、自分の体を守るために「無添加」を意識するようになり、昨年12月からは、心身をよりクリアにするために「砂糖なし生活」もスタートさせました。
本音を言えば、今でも100%完璧なヴィーガンになりたいと思っています。苦しむ動物のいない世界になってほしいです。 でも、現実には100点を取ろうとするとどこかで無理が生じ、結局は「継続できない」という壁にぶつかってしまいます。
「完璧にできないなら、何もしないのと同じだろうか」
そう自問自答した時期もありました。ヴィーガンではないものを口にする時、今でも胸がチクリと痛みます。罪悪感は消えません。 けれど、こう考えるようになりました。
「一人の完璧なヴィーガンより、100人の『ゆるヴィーガン』の方が、救える命の数は圧倒的に多いのではないか」
諦めてゼロになるより、今の自分にできる「精一杯」を無理なく続けることが、今の私にとってベストなのだと気づきました。
ヴィーガンというといわれがちな「偽善」という言葉。確かにそうかもしれません。でも、私は偽善でも、「何もせず動物たちを犠牲にし続ける」より何倍もマシだと思うのです。
命を大切に、自分も大切にするための「マイルール」
今の私は、生活とのバランスを取りながら「ゆるヴィーガン・無添加・砂糖なし」の生活をしています。
- 肉は買わない: 肉は買いません。餃子やコロッケなど、肉を使用した加工品も買いません。
- 魚は月2回、ツナ缶は2日に1回まで: 肉を食べない代わりに、制限を設けたうえで魚を食べています。
- 卵は「ケージフリー」を月2回まで: 基本的には買いませんが、必要になった時だけ、鶏たちが自由に動ける環境で育ったものを選びます。
- 乳製品ではなく豆乳を: 牛乳やヨーグルト、チーズなど乳製品はすべて植物性のものに置き換えています。
- 砂糖と添加物を控える: これはヴィーガンとは関係ないけれど、自分の体も一つの大切な「命」。社会人になって学んだ無添加の知恵と、昨年から始めた砂糖断ちで、自分自身も慈しむようにしています。
- 付き合いは柔軟に: 友人や会社の人との付き合いでは相手に合わせることを優先しています。
これらは「妥協」に見えるかもしれませんが、今まで試行錯誤してきた結果、今はこれが無理せずストレスなく続けられるベストだと感じています。何がベストかは、個人の価値観や環境によって変わるものです。
砂糖を控え、添加物を避け、なるべく動物性のものを摂らない生活。 これを始めてから、体調が良くなったのはもちろんですが、何より「少しでも良い選択ができている」という感覚が、私の心を穏やかにしてくれています。
ヴィーガンでないものを食べる時の罪悪感がゼロになることはありません。 でも、何もしないよりも動物たちに優しい生活ができているという実感があり、食事での罪悪感も減りました。
もし、「動物を食べることに違和感があるけれど、踏み出せない」と悩んでいるなら、「ゆるい一歩」から始めてみてはいかがでしょうか。
動物たちの命は私たちの選択一つ一つにかかっています。完璧じゃなくても、「マシ」な選択をしませんか?
